2009年06月29日

ねえねえ今でも街頭でジョウレイしている人っているのかねぇ。

さて神慈秀明会の基本といえば浄霊
浄霊こそ神慈秀明会

のはずなんですが、その浄霊知らずでここ数年息を吐いては吸って、吸って吐いて、生きております。むしろ浄霊をしなきゃいけないということになるとそれは精神的に過大な負荷になり、それが日々の生活に大きく響く。大きく脅かされるといったほうがいいでしょうか。
しかし大抵この手のものにすがろうとする人は精神的に弱い人なんですよね。そんな心配も一挙解決してくれるのがこの浄霊のはずなんですが、結構しちめんどくさいことを言われます。
手を洗えにはじまり、ゆくゆくは放置したままのものでは穢れが流れ込んでしまうのでお詫びを…なんてな具合に。
しかもこれを人前でやることをノルマにしていたわけですから、正味な話、浄霊を勧めるより、マルチ商法の健康食品を薦めたほうがいくらかましかと。
結局、浄霊も、マルチ商法の健康食品も人に薦めることはありませんでしたが、新体制になってからはそれをやらなくていいということになったのはこれをごらんの方なら周知の事実。しかしそのあとに街頭でも…正確に言うとショッピングセンターの屋上階の駐車場の入り口あたりで浄霊をしていました。それを僕の目の前で受けていた人はいかにも信者の言うとおりの回答をしていたような感じがしなくもなかったかな。

今は便利になったものですね。ショッピングセンターがあちこちに出来ているわけですから、いっそのこと大ブースでも設けて「あなたの幸せを祈るところ」みたく作って浄霊だけをしまくることも出来るでしょう。ほらマッサージブースのようなものですよ。
ところが今は新体制だからそれはやらないんですよ。街頭で白昼堂々人前でやるから大変なのであって、ブースを作って周りを囲っておけば逆に興味を引くかもしれませんよ。しかも変にありがたみが増すことは間違いなし。またそれ相応な人を用意すれば…。

しかし新体制になったからといって、街頭で浄霊活動をしないほうがいいって事になっただけで、基本的なものは変わっていません。あえて言うと、「地上天国的はこもの」はそろったから変な集金行為に走る必要がなくなっただけ。また美穂ミュージアムか何かを立てることになった日には
「みなさんにはまた未信者さんに浄霊の手をあげるときがきたのです」
なんて事を言い出すに違いありません。しかし10年前と違って世界恐慌っぽいものがすでに日本の経済界に節制を強要する羽目になりましたし、テロも起こってしまいました。信者未信者関係なく、その憂い目にあわれた方大勢いるのです。本当のところなら…と言いたいところです。しかしカルトなのです。悪魔のように人を不幸にする絶大な力はあってもそれ以外は何もない。
いやまてよ、自然農法と美術品があるか。
ところが美術品は一部が盗品、自然農法については一般でもやるのが難しいのに…。

あっそうだ。自然農法でこんなネタがありましたね。
秀明会の自然農法の田んぼで作業をしていたら水虫がなおったってネタ。しかし少しの詳細も語られることはありません。科学的につじつまが合わないことは数多くあるとしても、水虫は早々簡単に治るものじゃありません。角質の奥深くで繁殖するって言うふてぶてしい輩なのですよ。だから強力な劇薬が使われていたりするわけです。ブテナロ●ッッックとかいって。

ということで水虫は壱に乾燥清潔、弐に医者に行き、三枝も五にも継続的な治療でのぞみましょう。
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2009年06月06日

屋根の銅板についたものは緑青

某巨大掲示板で結構広まっているようです。この場を借りてそんな皆様方にお礼を申し上げるとともに、「宗教の自由」という国家レベル的リスクについても考えていきたいと思います。

このブログで得られたアクセスという経験は他のブログでも十分生かすことができる代物であるととらえることもできます。


最近思ったことの箇条書き
1 創価学会と何ら変わらないような感じがする。
2 本部の教祖殿の屋根の銅板についたものは緑青です。

ここ数日は神慈秀明会についてかかれているブログとかを見ておりました。新体制になるまでにヤメられなかった奴は異常とかというのにはなんとも…。以前にも書いておりますが、旧体制の夏期不幸のときに入信させられ、そのご「あれをしないといけない」「これをしなかったらやばいよ」と先導されっぱなしでした。
よく言われる「高額献金」はしたことはありませんが、神様のために嘘をつきなさいというようなことは何度かありました。そもそもそれ自体がおかしなことなんですけどね。たとえば会社休んででも本部に逝かせてもらいなさいとか。親の金をパクってでもいいからそれで献金をさせていただきなさいとか。この手の話は神慈秀明会をネタにして書いているところで端々見られるものです。

さて、今日はまずほとんどに多様なケースを持つと考えてもいいをネタにしたフランスの番組をご覧いただきます。そうそうこういうものもあり枡野でこれから見ていただきましょう。僕が入信させられた状態が囲い込みだったんですが、これは秀明会的には「熱意に押された」といいます。用は「自分たちのオミチは絶対いいものなんだから入らせてもらっただけでも感謝しろ」と言う意味です。







本部の教祖殿の屋根は銅張りなんだそうで、年数が経つに連れて
「浄化されたいい色になる。」
と言っていた。ここでちょいと言ってやった。しかしこの位のことは科学に少しでも学のある人なら即答出来るはずだ。
「あれは緑青ですね。」
としっかり「科学的」に答えてやりました。
緑青というのは銅のさびの一種なんですが、もう一つあって、レモン汁できれいになる黒ずんだ10円玉でお馴染みのものがそれです。赤いのもあるみたいですね。ちなみに緑青というの水酸化炭酸銅ともいわれています。

もうちょっとで忘れていたことですが、カルトに入ると言うことは、人生を担保に博打をするって言うことがかの動画で言われていますが、まさにその通りだと思います。
そう言う意味で僕は大胆なギャンブラーだなぁと。だから、ギャンブルしちゃいけないって言っている人がカルトの人だったら信用しないこと。
タグ:神慈秀明会
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2009年05月29日

上岡龍太郎氏が霊能者をぶった斬った日



神慈秀明会の歴史で「霊能者」に何かを決めてもらったって言うことがあったらしいようですが、何かの団体においてまず権限を持つのは物質社会において資本主義の世界においては、金、地位から権限が発生します。
当然お金を出している人が計画から手を引けば何もできませんし、計画担当者よりも強い権限のある人が差し止めればお金があっても箸を折ることすらままなりません。そこでお金を強い権限者に渡して事を進めたりしす。これは賄賂って言うものですが。
つまるところ、お金も権限もないひとは労働力を提供するしかなく、それが認められる必要があります。しかし労働力を提供する事は「ただ働いていればいい」と言う訳ではありません。一つの計画を確実に成功させる、別の言い方で企業を盛り立てて行くことはお金、地位、労働力の調和を保つことでもあるわけですね。簡単には労働力を認めるならばそれ相応の対価を払い、責任を果たすために製品、サービスをきちんと提供する。順序は逆に書きましたが、その結果企業に利益という体力をつけて、継続可能な状態にすることです。ただ時代が変われば同じ手法で継続不可なのはここ数年間をご覧になっていただいた通りであります。
以前、会社という物は株主の物という考えがはびこっていましたが、あっさり言ってしまえばただ金を出してくれる外野なのであって、直接会社の社会活動に貢献する物ではありません。支配は出来ますけど。近年は株を買ってもらうより銀行借金をした方がリスクが少ないという考えの方もおられるようで。ただなかなか貸してくれないんですよね。

そんな物とは一見一切関係の無い物が宗教です。
しかしウン千万、ウン億円単位で「お布施」と言う売上をあげているのであればそれは別の話でしょう。しかも大きな豪邸を建ててしまった日には。しかも教団の運営に霊能者が関わっているとなるとこの宗教は一体何なんでしょうか。霊能者の物か?
で、宗教法人が非課税なのは「宗教は商売ではない」と言うのが前提のようです。


さて話は変わりまして、「お布施」と言う売上で大きな建物を建てたという話は確か致しましたね。そうそうタイトルに詐欺師…いやダイレクトに「大きな建物の建て方」だったと思う。
まず大きな建物の説明をサラッと致しましょう。そのまえにこの大きな建物たちに何があるのかというと、
「下界には自由があるがココには世俗に振り回されない大自由がある。」
それは信楽高原鉄道の元信号所にとても近い所に位置します。その鉄道を併走するか否かの感じでアプローチ道路を登っていきまして、富士山で言うと五合目のような所の駐車場でおります。上へ上がっていきますと、…しばらく「本部」に行ったことが無いので記憶が曖昧ですが…某中規模都市より豪勢な駅舎っぽい建物があります。これは上がって言って左側。右側にも何やら文化ホールのような建物と言っておきましょうか、結構立派な物があります。その道をそのまま行けば美術館にもいけたのかな?確か。その奥にも駐車場があったはず。で、何かの建物に入って言ったかは分かりませんが、京都市電で使われていた石畳の石を敷き詰めたといわれているみたらしがあります。見た目ただ石を積み重ねただけのゲートのような物があります。その真正面におひかりの炊き上げをする丸い何かがあります。白い大きな建物に行くにはあのゲートのようなものを通っていきますが、入るときはどのみちみたらしで手を洗い口をすすぐのでまっすぐ入って行くことはありません。そしてゲートをくぐり、自然の中にわざわざ作り込んだ日本庭園的なものを横目に広大な広場に出て、二つの大きな建物に遭遇します。教祖殿とカリヨン塔です。これがかの「借金させて、親から金をぶんどらせる事を進めてまで献金させて作られた」ものです。この建物について同じ関西圏にある天理教に意見させてみたいものですな。その教祖殿にはいるには半導体メーカーの工場でもない癖に靴カバーを使います。ちなみにおひかりをかけていない人はもちろん入ってはいけません。むろん未信者はNGです。ここに入るときの服装は背広などの正装、もしくは指定された服装でないといけません。
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2009年05月12日

不幸製造機

http://www.geocities.jp/shumeimomo/kyougaku6.html

アクセス解析で得た検索結果のあるリンクを何気にたどって見ました。
耳をつままれるような感じですよ。
お光りはここ二年間一切かけてません。せいぜい引越の際に「移動させた」のが最後。

僕は入信直後に…このブログでも書いてると思うけど…「入信した事自体がダウンしたこと」と言ったことがあります。
だって、あれしないと不幸になるこれしたらお詫びですよとか「お光りの袋はそのうち自分で替えられるようにならないとねえ」とか言った挙句替えた後の袋って自分で持って帰らないといけないんですよ。しかも自宅で燃やしてくださいって、あほか!そんな真似できるか。ゴミ箱がたまってしょうがないからとかちゃうんけ。そもそも下手に触った時点でお詫びになって数千円が飛んでいくのに自分で替えられるわケネーだろ。せめてわざわざ替え無くてもいいようにすればいいのにね。

ほら。お光りの扱いだけでも最低この位は書ける。こんな厄介者背負わされた時点で不幸といわず何という。秀明会風に言うと今の僕が持っているだけのお光りは「壁を浄化していますね」と言う状態。
中身が切り貼りの継ぎ接ぎなんて知ったときにはかえって「へー」の一言。そもそもお光り使って奇跡なんて体験したことなんて無かったんでね。二階対向車にぶつかりそうになったことはあってもそれで済んだのをお光りのおかげなんて思ってもいません。たまたまブレーキのタイミングが絶妙だっただけですから。

ただね、今ヤメてお光りを返すなりお炊き上げするなりすると予定しているミッションが出来なくなるでしょ。するて言ってもだいぶ先ですが。

で、何か悪いことが起こると大抵それは自身の浄化であるといわれるんですね。「今は辛いことになっているけど将来は…浄化が終われば…」とかって言うんですよ。よくよく考えたら、人って不幸になったら「浄化しているから」なんて言われるより「それは悲しかったよね」って言ってもらいたいものでしょ?
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2009年03月18日

これがマインドコントロール

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2008年11月30日

「妻が入っています」という結構ありきたりな話

前代未聞!!
宗教団体が中国の盗品仏像、菩薩立像を購入展示 神慈秀明会、盗人に追銭。


こんな記事が転がっていましたね。

本日ある方からお手紙を頂戴致しましてその返信をした所です。
自分の連れ添いが入信していて洗脳はされているが…と言うところから始まっていました。できるだけ丁重にお返事を書きまして、…と言っても僕はまだ「神慈秀明会被害者の会」役員みたいな事は出来ませんし、とってもおこがましい限りでございます。
タグ:神慈秀明会
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2008年11月07日

幸せを分け与えられるのは幸せな人だけです。

不思議な事に神慈秀明会で熱心に活動をしている人たちは不幸

と言いきってしまってもいいくらいの場合があるらしく、手をかざしている人がどう考えてもかざされている人より幸せそうに見えないという笑えない話があったようです。どっかの本にS教会とかって言う伏せ字でかかれてたんですが、当時は「嘘だろ」と思って読んだものです。

無い袖は振れぬと言う言葉どおり、ないものを分け与えることは出来ません。それがお光りを得たからといって、そのお光りを手にしたばっかりにたちまちの経済状況が極端に悪化してしまっては、とても人の幸せどころか自分の身が危険にさらされているようなものでそれをみすみす自分でやってしまったようなものです。どこかで話したような気がしますが、そうです。夏期不幸ならぬ夏期布教最終日にお光りのバーゲンセールをやっていたのです。とは言っても4万円。通常は30万円と言うのですから26万円分のいい加減さ。シカもここから先タダでは済まないことは大請け合い。
「この日を逃すとあなたは遠くまで行かなきゃならないんですよ。」
この当時の僕というのが…というよりも囲まれてそこから逃げろという方がおかしいのです。まさにそんな状態。こんな出だしで人の幸せを祈れというのですからちゃんちゃらおかしい事も大請け合いです。

秀勉に何度か参加しまして、そこで聞いた話をひとつ。
美保ミュージアム建設最中にクレーンが落ちました。幸い死傷者は無。これをどう付け加えたか。
はいそこの人。
「どうせ明主様のおかげで死人が出なかったんですよって言ったに決まってる」?
その通りです。
もしこれが仮に昼飯中だったとしたらクレーンに誰かが乗っていることは到底考えれません。交代勤務をやっていたのであれば別ですが。そういう状況下でクレーンが落ちたのであればそれは「明主様のおかげで」にはなりません。「たまたま誰もクレーンに乗っていなかった」が正解です。その当時その話については「何時に落ちた」とかの一切の詳細を聞いたことがないので分かりませんが、こういう仮説も成り立たないわけではありません。
タグ:神慈秀明会
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2008年11月05日

へー創価学会も似たようなことしてたんだ。

某服屋で万引きという塗れ落ち葉をぶっかけられそうになり、近くの地下壕と思われるところに逃げ込んだら、電車ヒッチハイク出来たのでまたこうしてブログがかけることになりました。

すいません。このネタのパクリです。

この動画は創価学会の事について

むちゃくちゃわかりやすく

解説しているんですが、神慈秀明会も本当に似たものなんです。

ところが創価学会と神慈秀明会の唯一違うといえそうな所は阪神大震災の時に「あなたは生き残ったんだから感謝の献金をしなさい」と言ったかどうかです。神慈秀明会は本当にそういうことを言ってました。どっかのサイトの受け売りですが。

他に何かネタをかこうと思ってたんですが、引っ込んでしまったので最後にこちらをどうぞ。
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2008年09月18日

でかい建物の建て方。

http://www.geocities.co.jp/technopolis/9575/sagishi.html

詐欺師

ですか。皆様おはようございます。上のリンクをたどっていただきますと、「詐欺師」になるための勉強ができます。世界には、…日本には、数多くの手法で詐欺を行っている人、そして引っかかっている人…がいます。しかしながら詐欺に引っかかる人の「心の甘さ」は言われるまでもなく、とはいえ如何にそういう人の多いことか。だから教祖田とか狩り四党とか美保ミュージアムとか出来るんですなぁ。

ということででかい建物を立てたかったら神事襲名会のやり方をまねると出来る加茂よ。
タグ:神慈秀明会
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2008年06月04日

入信前の話のひとつ

ここをご覧の方なら一つは見覚えのある話だと思います。

突然なんですが、以前結構な額をオーディオとCDにつぎ込んでいたことがありまして、大体でCDを年間30枚以上を新品で買っていたこともあり、おおよそ100万円近く使ったことがあります。
そして今年と言うのか、今現在ちょっとした転機が訪れようとしております。簡単に言ってしまうと、FXがある程度いいところまで行ったのですが、今どういうわけか怪しい感じになってきたのでみんなでやめようという話になりました。とはいえ損は全然しておりませんので、結構な額が戻ってくることになりました。
戻ってきたら

とか

とか買ってみようかなぁ。

はい、この話を信者の誰かにしてみましょう。窮体制のころなら決まって
「そのお金を献金しなさい」
なんて言うんですよ。新体制になった今はどうなんでしょうか。

で、入信前のころにAM/FMチューナーとかを買う予定をしていまして、きたる給料日と言うのかボーナスと言うのか、楽しみにしていました。ところがそれを中止せざる事態に陥りました。それが「入信するまでは帰らせない」と言う取り囲みです。今やったら絶対家宅捜査に至ると思いますけどね。そんなことがありまして、泣く泣く取り寄せを予定していた店にキャンセルをつげました。その当時というのは携帯電話が普及し出したころで僕は持っていなかったので、親に聞き耳を立てられてはいちいちあらぬ説教までされたものです。そのことについてもですが、世話人から、支部から電話がかかってくる度に親に聞き耳を立てられるのです。
今まで僕の家族内で無茶苦茶信用がなかったその始まりはこれですね。
で、よく人間関係どうこうって言う話ありますよね。あれは信用問題が大方の比重を占めるようですよ。信用されれば何をやってもいいと言うわけではないんですが、信用されていなければ絶対いい人間関係の構築はありえません。今僕も何だかんだ言ったところで少しずつ自身の信用を会社の中で育ててます。

でも、この宗教にのめり込んでいるうちにそれが実現出来ることはないと確信できます。
ちなみに僕はまだ秀明会には籍を置いてますが、天津祝詞なんて全然スラスラ言えません。これを完全に覚えていたらきっとこんなこと書いてません。ひょっとしたら洗脳度はそれで分かるかも。精度は良くないにしても。
posted by yaikei at 23:15| Comment(1) | TrackBack(0) | 他のものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする