2011年03月23日

不安思っています。

いまだに秀明会の方こんばんわ。
地震という名目でひょっとしたら献金をされていると思います。しかしそのお金ちゃんと被災地に行くのを確かめていますか?
阪神大震災ではあなたがたの中ですごく熱心な人は「地震で生き残れたのは明主様のおかげ」と言われて多額のお金を収めたのではありませんか?
今、東日本大震災ですべての国民が「国の」復興のために「献金」をしているのですよ。
きっとあなた方は未だに死者を冒涜している発言なんかされているんじゃありませんか?「明主様を信仰しなから」とかいって。津波にさらわれた人が「おひかりを付けていないから」とかっていってるんじゃありませんか?僕はここ数年間支部に行ってませんからみなさんがどう言っているかは一切知りません。僕はおひかりをつけて浄霊をすることなんて考えていません。いや絶対考えません。義援金、毛布とか食器などの日用品などの物資提供を考えています。無論心の中では日々震災に遭われた方に対して阪神大震災の時同様に…なんと言ったらいいんでしょうか。どう言葉で表現していいかがわかりませんが…また以前の生活ができるレベルに戻ればと考えています。
今日支部に行くのであれば代わりにそれを義援金として送ってください。あなた方は人の幸せを思うことの出来る人達のはずです。ありがたみの沸かない浄霊より行動を見せてあげてください。そう、それこそ無農薬の野菜を送ってあげてください。ある程度現地が安定したら秀明大鼓で励ましてあげてください。少なくとも株は上がります。しかしそれは後で付いて回るだけのものです。阪神大震災の頃までは旧体制でしたけども、その反省の大きな機会がやってきたとも考えられなくはありませんか?

まさかまた被災地で「地震で生き残れたのは明主様のおかげ」なんてほざいていませんか?
それが僕に発覚したとき、貴方達の明日はないと思ってください。
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2011年01月05日

お伊勢参りスペシャル2

地上天国なんて誰ですかそんなトロ臭いこと言ってた人は。

お伊勢参りに行ってきました。まず感じたことはとにかく近くの神社の感覚で行くとえらく自分が場違いだなぁという感じを受けますが、それぞれの方がどういう経緯で、また手段で来たかを抜きにして、お参りにこられた方はその神のもとにおいて平等であることです。
お守りは2500円のものから500円のものまで色々ありまして、これを買わないと絶対いけないということはありません。またそんなことを書いてあるものなんてありません。ただ秀明会の人の感覚で行くと必ず2500円のものを選ぶのではないかと。秀明会で「買う」おひかりなんてどうですか?ここで「デスっても」仕方ありませんが、そのお金があったらすぐにお伊勢参りどころか伊勢じゅうの神社にお参りが出来ます。しかも「ついでに」大角祓まで買えますよ。

伊勢神宮には外宮(げくうと読む。がいくうではない)と内宮(ないくう)があります。それとその守り神であらせられる猿田彦神社があります。順番としては猿田彦神社→外宮→内宮とあるようですが、伊勢神宮のサイトしか見ていない人は外宮→内宮の予定で組んでいたりするんでしょうね。猿田彦神社のこととお参りの順番「絶対そうしたほうがいい」というのは伊勢市の駅前の串カツ屋で小耳に挟みました。
同じ神様にお参りするのでも、信楽の山奥へ行くのとは大きな違いです。昔であれば、「伊勢神宮もいいけど信楽の山奥には明主様がおられるのです」なんてちょべりば恥ずかしいことを言っていたに違いありません。

お伊勢参りは江戸時代であれば聖地とされていてとてもすごいことだったようで、今でも近くの高速道路の入口付近の電光掲示板で何処がどうだったかは忘れましたが、「7キロ渋滞」と出てしまうくらいのものです。小生としてはお伊勢参りに自家用車は使うなと言っておきます。それと伊勢市の駅から外宮までの間に商店街があるのですが、やたら長いが寂れた商店街のことを思うと多分いつでも人で賑わっているんだろうなぁという感じを受けます。
今回は近鉄特急で伊勢市に行きましたが、ここで一つ異様に目についたようなことが、山奥が雪化粧していて綺麗だったことではなく、新興宗教の教会がよく目立っていたことです。外宮のちかくに「真光」なんてあった時には「ええ根性しとるのぉぉ」と思いましたね。頼むから15000円ヤルからそこをどけと。

で、今更気づくまでの話ではないのですが、秀明会の様式は一部に神道に沿った形のもの(パクッたのか?)がありまして、外宮でも内宮でも手水舎というものがありまして、まず鳥居をくぐったら両手を清め、そして口を清めるということをします。これ「だけ」は秀明会でやっていることそのまま流用できます。それから正宮へ行くなりします。白を基調とした石で固められた信楽の山奥とは違って、大して登ってもいないのに山登りの気分まで味わえる外宮、皇大神宮の裏から荒祭宮へ回れる仕掛けになっている内宮。正に誰かの受け売りの「自然の中に佇み、自然と一体である」という言葉がそのまま当てはまる空気を味わえます。
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2010年12月19日

お伊勢参りスペシャル

来年まずすることを決定しました。

そのまえに秀明会ではたしか大晦日に大祓というのをやります。なんのことはありません。そのままです。そのかわり正月はとても閑散としたもので、お正月は秀明会にとってはそんなにめでたくないのかな?という雰囲気です。
今日は忘年会に行ってきましたが、金銭的に良いことが有りすぎてぶっちゃけそんな自分に「吹いて」ます。ビンゴ大会で賞金を頂いたんですが、秀明会の人にこの手の話をしてはいけません。絶対にしてはいけません。「明主様に」などとかっこつけてたちの悪いせびりが入ります。このブログをご覧の方ならもう言わなくても分かっていると思いますが、「自分のことをするお金があるんだったら明主様に収めなさい。」といいます。これは個人の自由、個人に帰依する幸せの否定であり、さらには秀明会はただの集金業者かと言う理由付けにうってつけのネタです。
某サイトで紹介されていましたが、その話しの主人公は若い男性で車を買うためにお金を用意していました。それに目をつけた秀明会の人が「その金をよこせ」と言わんばかり…かどうかはおいといて…「明主様に収めなさい。」といいました。しかし彼は悩んだ挙句「明主様に収めた。」のであれば「あーこの人カルトに完全に染まったね」で終わりですが、明主様に横流しせず、そのお金を本来の目的のために使命を果たさせてあげました。そして彼は車を手に入れます。この車がどういう目的であるかは問いませんが、秀明会の人はこともあろうに、「そんなお金で買った車なんか呪われてる」とほざきました。でも彼はその車を大事にのっているようです。めでたしめでたしざまーみろ。って言うかこれが本当に人の幸せを祈ってくれる連中の言動なのかと。
こういう可能性が二十分にあるから金銭的に良いことがあった場合は絶対に言ってはなりません。それは死んでもです。

来年まずすること、それはお伊勢参りです。えっ秀明会の人なら本部に行くのが当然なのかですって?たしかにそうですが、何処へ行くにも確固たる目的があれば何処へ行こうとそれは立派なことなのです。元旦にお伊勢参りと信楽の本部に行くのとではどちらが世間的に立派なのかと言えば言うまでもありません。でもそれはどうでもいいことです。今回の初詣はご利益など一切考えないで行くんですから。ヘタをすると近鉄特急に乗りたいがためのお伊勢参りに変貌する可能性だってあるわけです個人的に。
誰しも秀明会の人であれば本部で元旦に初詣はスペシャルなことこの上ないでしょう。ですが、それがマインドコントロールされているということなのです。信楽の本部は確かに立派です。しかしそこに佇む思想が「ここには自由はないが大自由はある。」なんのコッチャなのかという感じですが、(あーそうそう以前の記事で「下界には自由があるがココには世俗に振り回されない大自由がある。」と書きました。)明主様の下にいる者たちすべてが平等で公平に御加護が受けられるというのであれば悪くはないでしょう。周りが白を基調としたつくりです。それを知っている状態でお伊勢参りはどういう衝撃を感じ取れることでしょうか。
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2010年05月11日

厳選!!神慈秀明会関連サイト2

2008年05月20日に「厳選!!神慈秀明会関連サイト」と言う記事を書いたときには一切分からなかったのですが、宮崎では「カルト」との攻防戦が始まっていました。

さてさっそくですが…
http://news.livedoor.com/article/detail/4712586/
http://noreligiouscult.web.fc2.com/
http://www.news.janjan.jp/area/0909/0909089941/1.php
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/hanketu01.html
上三つがその宮崎がらみ。
もう一つはこのブログと同名のmixiコミュでの書き込みで知った「学校」の件です。今日はこのネタの方に食いついていきます。
はっきり言いましょうか。段々創価学会と似たり寄ったりになってきていますね。ただ過去帳を焼かれた人は知りませんが。それとどういうことをどういう方針で教えていくんでしょうか。とても不明ですね。創価大学の場合は日本を学会が支配できるように政界に潜りめる様な人を育成するのが狙いらしいそうですが、この「学校」は何をどうしていくのか分かりませんね。
ただやってほしくないのは、他人の悪口を平然と言わせたりするような教育はやってほしくないですね。またこういうところで勉強した人はきっと他人から見て非常に厄介な人になるんでしょうね。もしくは存在自体が憲法違反とか。
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2010年05月05日

色々と反論をしたのですが、それが気に食わなかったのか…えっ離婚?

最近サブミッションの方が充実しております。

ここ数ヶ月で三人の方からの秀明会がらみのメールをmixi経由でいただいております。そこで今回はその一つを了承を得まして紹介致します。

この宗教には、熊本、群馬の教会にいったことがあります。私が信者ではなく、妻に連れて行かれたのですが、共に最悪でした。
 妻のバッグに、玉串とか書いた封筒が大量に入っているのを見たことがありますし、感謝献金などの言葉を見たことがあります。たしか、つまらないことで教会に行ったときも100円くらい取られたような。
 はじめて熊本の教会に行ったとき、2時間くらい話を聞かされ、当時、大学の理系職員をしていたため、色々と反論をしたのですが、それが気に食わなかったのか、子供ができてすぐだったのですが、帰りの車で離婚と言われました。懲りずに次の日も話を聞きに連れて行かれましたが。それからというもの関係は最悪です。

また色々教えていただければ幸いです。

小生からの返答
この手の話はちょっと新鮮でしたのでこの部分だけを引用させていただきます。
大抵は信者の方が反論をするのですが、…なんて言うのかと言いますと、「日航ジャンボが墜落したのとか、トンネル崩落で生存者が出なかったのは、お ひ か りをかけている人がいなかったからなんですよ。」と言うんですね。まずお か げ ば な しです。
今の僕が思うに、こういうことを言う人は人の死を何だと思っているのかってことです。そうそう、冒涜しているって言いますね。まずは黙祷を捧げてそれから御巣鷹山にでも行ったり、北海道の海岸沿いの現場に行って浄霊しろ。その浄霊がすごかったら、ジャンボの乗客だった御霊も、バスの乗客だった御霊も救われるってものですよ。浄霊が本物だったらの話ですが。

で、子供さんがいるんですね。
僕の予想ではこの子は将来、秀明会に引きずられます。本来は小さいころから信仰と触れ合うのは非常に良い事なんですが、なにぶん「もの」がよろしくない。ということでこのことに関しては子供さんの味方になれる父親になってあげてください。それ以上のアドバイスは出来ませんのでご了承ください。似たような境遇をお持ちの方(創価学会ネタですが、似たようなものなので。)の動画がありますので、それを紹介して今日は終わりにします。

それでは貴殿と家族に幸あらんことを。

僕が多く経験した事のある「反論」は僕が入りたてのころ信者の人から「そんなんだからダメ」…簡単のまとめるとそんな感じ…とか言うような物言いでした。その頃というのはまだ悪名高き旧体制でしたから、相手の事情を鑑みるより、ねじ曲げるのが信者の勤めだったのでしょう。だから囲い込みをして無理やり入信させて、ノルマもあったのですから、必死だった事は容易にとれます。そして無理やり第三講まで受けさせて…とにかく煽るんですよ。しないといけないって。今の僕に言わせてもらえば、教育ママよりひどい。教育ママの場合は勉強すれば安心してくれるんですが、何せ旧体制の秀明会です。このブログを立ち上げる前に書いたところでは「入った時点で地獄直行」とタイトルを打ったことがありますが、本当の意味で地獄を味合わせてくれます。普段の生活には一切関係の無い精神的苦行を押し付けてくるのでから、それで「生活しつつ祈りつつ」は笑止千万、言語道断、…万死に値するとまでは言いませんが、僕が当時抱いていた考え「自分が満たされてから」と言う考えの方が自然であった事を確信しているところです。
自分が満たされる状況になればそれを他人におすそ分けしたくなるわけです。あれ…この考え方ってまさに浄霊する際に使える考えじゃないの?
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2010年03月06日

純粋に愛でたい

http://sei-ji.at.webry.info/200911/article_7.html

へー写真撮ってもいいんだねー
「信者」でありながらまだ言ったことのないところです。
秀明会的な言い方で「行くことのお許しが得られなかった」わけですが、行くのただじゃないんですから。

で、美術館は「未信者」の方も行ける所なので誰でも「芸術による感化」を受けることが出来るという狙いもあります。んーたぶんそんなチャンスは巡ってこないでしょうね。というのが、
本部に行くにしろ何にしても秀明会は「平日に」逝かせようとするのですから、
普通の人は敬遠間違いなし。どこでも「休日に」イベントをやったりするのに。
そこでなんて言うのかといいますと、やれ「お許し」がどうたらこうたら抜かしやがります。それで精神的な圧力を「行けるお許しが出るまで」永遠にかけつづけたりするわけですね。はっきり言ってストレスその物。しかもお金がかかるわけですからもーね、あほかとばかかと。しかも常時開いているわけではありませんから、本部で参拝して終わりということはざらです。数回しか本部に行ったことのない小生が言うのだから間違いない。それに美術館でイベントを開いていたりする場合、大抵タイミング悪いって感じたことありません?
posted by yaikei at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | あの系列のサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

退会したほうが精神衛生的に良い。でも行かなくていいっていうからそのまま籍は置いている。

「退会すると魂的に良くない。行かなくてもいいからそのまま籍は置いた方が良い」と言う言葉を含んだ記事を書いたことがありました。これは意外と精神的に負担がかかります。それは同居している家族に「アレはもうヤメた」なんて言いつつ嘘をつかなければならないからです。

さて、ナンとこのブログが2位に来ております。ドンダケ!!
(グーグルで「神慈秀明会」と検索)
言っておきますが、まだ籍だけを置いている「信者」ですよ。秀勉に使う秀明紙もありますし、聖教書も埃をかぶっています。そんな輩ですが、まだ一度も未信者の方…一般の方には浄霊の手を上げておりません。
しかし今は精神衛生的に至って健康です。それは普通に働いて収入を得ているからです。「普通に働いて給料もらうのなんて当たり前じゃん。量の多さは別として」と思われますが、精神的不健康に陥ってまで浄霊の手を上げたりなんかしたいですか?僕はそんな風には考えません。
ただせっかく籍は置いているので何か利用出来ないかと策略を進めたのがかのミッション「修行するぞ」です。まだ実行していませんが。
あっ、似たようなことってもう散々書きましたね。
復讐…失礼復習ということで言いますと、支部や本部であった事をそのまま音声、または動画でひけらかしてしまおうというものです。モーこうなってくると怖い物見たさですね。しかしまだやる予定は立っていませんので、今しばらく小生の戯言をお楽しみください。

そうそう聖教書でよく出てくる話なんですが、エビスサンです。しかし秀明会のご本尊って「誰」っていうか「何」よって感じじゃないですか。本部に行くのには「あなたのお心でいいから」なんてバス代と一緒に「払った」りするし。これがあったからすこぶる商売が繁盛したとかかれていると思います。しかし信者がそれにあやかっていたでしょうか。不明です。あと聖教書と世界救世教を創始したといわれている岡田茂吉氏の「岡田茂吉全集」だったかな?国会図書館で読めるらしいそうですが、それを比較した方がおられまして、なんと聖教書は秀明会の信者を動かすのに格好の道具になっている様ですね。なにせ「岡田茂吉氏のお言葉」とかいいつつ。たしか支部で受けた説明では「厳選した物(秀明会的にいい意味で)」と言っておりました。秀明会の人で「岡田茂吉全集」の存在を知っている人っているのかねぇ。

僕が色々経験をしたなかで神慈秀明会は…何度も言う様ですが…実に詐欺的なやり方をしています。
簡単に言うと先に「金出せ」です。ちっちゃい袋となんか書いてある紙に大枚をはたくなんてどう考えても詐欺でしょう。はなっから『普通の人』ならそう言いきります。それで本当に奇跡が起こったとしましょうか。しかし入る前に、大雑把に言うと「入らないと地獄」なんて言われているわけです。奇跡が起こる前に地獄ってどうよ。
ということは秀明会の人に声をかけられていた人は「その時点」で地獄に誤って転落していたことになりますよ。

以上のことを踏まえた上で、働いて社会に貢献してそして給料がもらえることって素敵だと思えることを申し上げます。
ラベル:神慈秀明会
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2009年06月29日

ねえねえ今でも街頭でジョウレイしている人っているのかねぇ。

さて神慈秀明会の基本といえば浄霊
浄霊こそ神慈秀明会

のはずなんですが、その浄霊知らずでここ数年息を吐いては吸って、吸って吐いて、生きております。むしろ浄霊をしなきゃいけないということになるとそれは精神的に過大な負荷になり、それが日々の生活に大きく響く。大きく脅かされるといったほうがいいでしょうか。
しかし大抵この手のものにすがろうとする人は精神的に弱い人なんですよね。そんな心配も一挙解決してくれるのがこの浄霊のはずなんですが、結構しちめんどくさいことを言われます。
手を洗えにはじまり、ゆくゆくは放置したままのものでは穢れが流れ込んでしまうのでお詫びを…なんてな具合に。
しかもこれを人前でやることをノルマにしていたわけですから、正味な話、浄霊を勧めるより、マルチ商法の健康食品を薦めたほうがいくらかましかと。
結局、浄霊も、マルチ商法の健康食品も人に薦めることはありませんでしたが、新体制になってからはそれをやらなくていいということになったのはこれをごらんの方なら周知の事実。しかしそのあとに街頭でも…正確に言うとショッピングセンターの屋上階の駐車場の入り口あたりで浄霊をしていました。それを僕の目の前で受けていた人はいかにも信者の言うとおりの回答をしていたような感じがしなくもなかったかな。

今は便利になったものですね。ショッピングセンターがあちこちに出来ているわけですから、いっそのこと大ブースでも設けて「あなたの幸せを祈るところ」みたく作って浄霊だけをしまくることも出来るでしょう。ほらマッサージブースのようなものですよ。
ところが今は新体制だからそれはやらないんですよ。街頭で白昼堂々人前でやるから大変なのであって、ブースを作って周りを囲っておけば逆に興味を引くかもしれませんよ。しかも変にありがたみが増すことは間違いなし。またそれ相応な人を用意すれば…。

しかし新体制になったからといって、街頭で浄霊活動をしないほうがいいって事になっただけで、基本的なものは変わっていません。あえて言うと、「地上天国的はこもの」はそろったから変な集金行為に走る必要がなくなっただけ。また美穂ミュージアムか何かを立てることになった日には
「みなさんにはまた未信者さんに浄霊の手をあげるときがきたのです」
なんて事を言い出すに違いありません。しかし10年前と違って世界恐慌っぽいものがすでに日本の経済界に節制を強要する羽目になりましたし、テロも起こってしまいました。信者未信者関係なく、その憂い目にあわれた方大勢いるのです。本当のところなら…と言いたいところです。しかしカルトなのです。悪魔のように人を不幸にする絶大な力はあってもそれ以外は何もない。
いやまてよ、自然農法と美術品があるか。
ところが美術品は一部が盗品、自然農法については一般でもやるのが難しいのに…。

あっそうだ。自然農法でこんなネタがありましたね。
秀明会の自然農法の田んぼで作業をしていたら水虫がなおったってネタ。しかし少しの詳細も語られることはありません。科学的につじつまが合わないことは数多くあるとしても、水虫は早々簡単に治るものじゃありません。角質の奥深くで繁殖するって言うふてぶてしい輩なのですよ。だから強力な劇薬が使われていたりするわけです。ブテナロ●ッッックとかいって。

ということで水虫は壱に乾燥清潔、弐に医者に行き、三枝も五にも継続的な治療でのぞみましょう。
posted by yaikei at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 他のものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月06日

屋根の銅板についたものは緑青

某巨大掲示板で結構広まっているようです。この場を借りてそんな皆様方にお礼を申し上げるとともに、「宗教の自由」という国家レベル的リスクについても考えていきたいと思います。

このブログで得られたアクセスという経験は他のブログでも十分生かすことができる代物であるととらえることもできます。


最近思ったことの箇条書き
1 創価学会と何ら変わらないような感じがする。
2 本部の教祖殿の屋根の銅板についたものは緑青です。

ここ数日は神慈秀明会についてかかれているブログとかを見ておりました。新体制になるまでにヤメられなかった奴は異常とかというのにはなんとも…。以前にも書いておりますが、旧体制の夏期不幸のときに入信させられ、そのご「あれをしないといけない」「これをしなかったらやばいよ」と先導されっぱなしでした。
よく言われる「高額献金」はしたことはありませんが、神様のために嘘をつきなさいというようなことは何度かありました。そもそもそれ自体がおかしなことなんですけどね。たとえば会社休んででも本部に逝かせてもらいなさいとか。親の金をパクってでもいいからそれで献金をさせていただきなさいとか。この手の話は神慈秀明会をネタにして書いているところで端々見られるものです。

さて、今日はまずほとんどに多様なケースを持つと考えてもいいをネタにしたフランスの番組をご覧いただきます。そうそうこういうものもあり枡野でこれから見ていただきましょう。僕が入信させられた状態が囲い込みだったんですが、これは秀明会的には「熱意に押された」といいます。用は「自分たちのオミチは絶対いいものなんだから入らせてもらっただけでも感謝しろ」と言う意味です。







本部の教祖殿の屋根は銅張りなんだそうで、年数が経つに連れて
「浄化されたいい色になる。」
と言っていた。ここでちょいと言ってやった。しかしこの位のことは科学に少しでも学のある人なら即答出来るはずだ。
「あれは緑青ですね。」
としっかり「科学的」に答えてやりました。
緑青というのは銅のさびの一種なんですが、もう一つあって、レモン汁できれいになる黒ずんだ10円玉でお馴染みのものがそれです。赤いのもあるみたいですね。ちなみに緑青というの水酸化炭酸銅ともいわれています。

もうちょっとで忘れていたことですが、カルトに入ると言うことは、人生を担保に博打をするって言うことがかの動画で言われていますが、まさにその通りだと思います。
そう言う意味で僕は大胆なギャンブラーだなぁと。だから、ギャンブルしちゃいけないって言っている人がカルトの人だったら信用しないこと。
ラベル:神慈秀明会
posted by yaikei at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 他のものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月29日

上岡龍太郎氏が霊能者をぶった斬った日



神慈秀明会の歴史で「霊能者」に何かを決めてもらったって言うことがあったらしいようですが、何かの団体においてまず権限を持つのは物質社会において資本主義の世界においては、金、地位から権限が発生します。
当然お金を出している人が計画から手を引けば何もできませんし、計画担当者よりも強い権限のある人が差し止めればお金があっても箸を折ることすらままなりません。そこでお金を強い権限者に渡して事を進めたりしす。これは賄賂って言うものですが。
つまるところ、お金も権限もないひとは労働力を提供するしかなく、それが認められる必要があります。しかし労働力を提供する事は「ただ働いていればいい」と言う訳ではありません。一つの計画を確実に成功させる、別の言い方で企業を盛り立てて行くことはお金、地位、労働力の調和を保つことでもあるわけですね。簡単には労働力を認めるならばそれ相応の対価を払い、責任を果たすために製品、サービスをきちんと提供する。順序は逆に書きましたが、その結果企業に利益という体力をつけて、継続可能な状態にすることです。ただ時代が変われば同じ手法で継続不可なのはここ数年間をご覧になっていただいた通りであります。
以前、会社という物は株主の物という考えがはびこっていましたが、あっさり言ってしまえばただ金を出してくれる外野なのであって、直接会社の社会活動に貢献する物ではありません。支配は出来ますけど。近年は株を買ってもらうより銀行で借金をした方がリスクが少ないという考えの方もおられるようで。ただなかなか貸してくれないんですよね。

そんな物とは一見一切関係の無い物が宗教です。
しかしウン千万、ウン億円単位で「お布施」と言う売上をあげているのであればそれは別の話でしょう。しかも大きな豪邸を建ててしまった日には。しかも教団の運営に霊能者が関わっているとなるとこの宗教は一体何なんでしょうか。霊能者の物か?
で、宗教法人が非課税なのは「宗教は商売ではない」と言うのが前提のようです。


さて話は変わりまして、「お布施」と言う売上で大きな建物を建てたという話は確か致しましたね。そうそうタイトルに詐欺師…いやダイレクトに「大きな建物の建て方」だったと思う。
まず大きな建物の説明をサラッと致しましょう。そのまえにこの大きな建物たちに何があるのかというと、
「下界には自由があるがココには世俗に振り回されない大自由がある。」
それは信楽高原鉄道の元信号所にとても近い所に位置します。その鉄道を併走するか否かの感じでアプローチ道路を登っていきまして、富士山で言うと五合目のような所の駐車場でおります。上へ上がっていきますと、…しばらく「本部」に行ったことが無いので記憶が曖昧ですが…某中規模都市より豪勢な駅舎っぽい建物があります。これは上がって言って左側。右側にも何やら文化ホールのような建物と言っておきましょうか、結構立派な物があります。その道をそのまま行けば美術館にもいけたのかな?確か。その奥にも駐車場があったはず。で、何かの建物に入って言ったかは分かりませんが、京都市電で使われていた石畳の石を敷き詰めたといわれているみたらしがあります。見た目ただ石を積み重ねただけのゲートのような物があります。その真正面におひかりの炊き上げをする丸い何かがあります。白い大きな建物に行くにはあのゲートのようなものを通っていきますが、入るときはどのみちみたらしで手を洗い口をすすぐのでまっすぐ入って行くことはありません。そしてゲートをくぐり、自然の中にわざわざ作り込んだ日本庭園的なものを横目に広大な広場に出て、二つの大きな建物に遭遇します。教祖殿とカリヨン塔です。これがかの「借金させて、親から金をぶんどらせる事を進めてまで献金させて作られた」ものです。この建物について同じ関西圏にある天理教に意見させてみたいものですな。その教祖殿にはいるには半導体メーカーの工場でもない癖に靴カバーを使います。ちなみにおひかりをかけていない人はもちろん入ってはいけません。むろん未信者はNGです。ここに入るときの服装は背広などの正装、もしくは指定された服装でないといけません。
posted by yaikei at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 他のものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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