「生活しつつ祈りつつ」と言う言葉がありますが、なんというんでしょうか、バカの一つ覚えのようにして覚えておりました。この言葉の話が本部の教祖殿での講義で聞いたことがあるといったら
「すごいねぇーよくおぼえてたねぇ」
なんて言うんですよ。ちょっと得意になったものでした。
ところが実際には神慈秀明会に参加してそれが出来るでしょうか。
特に旧体制化の秀明会でできたのでしょうか。
ネット上でこの手のネタを書いている人ならこう言うでしょう。
「むり」
それは自分が貧乏になることが美徳とされ、中には両替してもらいたいのに「その一万円そのまま寄付させていただきなさい」なんて言う人が今だ活動をしている始末。
「生活しつつ祈りつつ」が「祈りつつ生活しつつ」と逆になっても別に構わないとは思いますが、その「祈りつつ」が生活を淘汰するような真似は絶対避けるべきです。
例えば献金のために家族を蔑ろにするとか、借金しまくるとか。
僕が神慈秀明会についてネットで調べることにしたのが、ミクシーでコミュニティーがあるかどうかを探そうと思ったことがその事の始まりです。なんと…ありませんでした。無いどころかやっぱり批判的な検索結果。ミクシーでこれですから、ネット全体でも批判的な検索結果ならどうにもならないでしょう。「本物の」信者サンはインターネットってやってないのかな?




おかしくなりそう。
母親が手かざししかしてくれない
もう親子の縁を切りたいよ